末端の構造屋しか知らないことがある

  先日、鉄骨造の耐震診断・改修の技術者講習会に参加してきました。


 講師の方が何度も、

「この本は古いので、黄色本や、学会の方に従って〜」

と、おっしゃっていたのが気になりました。




 今回は、その話をします。


 


 2011年と2013年に出版された2冊が、講習会のテキストに指定されていました。


 今年は、2024年なので、いずれも10年以上前のテキストになります。


 講習会で、何度も講師の方が、

「この本ではこのように記載がありますが、実務では、この部分については〇〇のようにしてください」

 と注意喚起されていました。


 10年以上前に出版されたときから今に至る、その間に、災害の調査等による、いろんな知見が明るみになり、以前の定義が必ずしも正しいとは言えなくなった。


 ということなのでしょうね、きっと。


 こういうことは、構造の分野では、よく見られることです。


 大きな自然災害が起きるたびに、専門家による調査が入り、構造的な致命傷となってしまった部分が明るみになり、それが知見の積み重ねになります。


 なので、構造屋は、常に「新しき」を学び続ける宿命にあります。こういう部分は、構造屋って、技術者に近いよな〜と、個人的には思います。


 ですが、「災害で、このような被害がでたので、今度から、教訓を活かして、このように設計しましょう」と言われるたびに、心に引っかかるものを感じるのは、わたしだけでしょうか?


 ほんとに、それは大地震が来なければ、想定できなかった被害なんだろうか?


 ほんとうは、ちゃんと目を逸らさずにいれば、被害を未然に防げたんじゃないんだろうか?


 そんな考えが頭をよぎります。


 今まで、これで問題が出たことはない。だから、問題はない。実際、こんな風の建物はいっぱいあるじゃないか。


 こんな風に言われ、仕方なく危ない設計を強要されている構造屋さんはいっぱいいると思います。


 でも、大きな自然災害の調査で、構造的欠陥がクローズアップされ、「これは不味い設計」と、取りざたされるようになる。


 これって、おかしくないですか?

 明らかに、おかしいです!


 まるで、大きな自然災害が、実物実験になっているようじゃありませんか?


 それで、被害に遭われた人は、どう思うでしょうか?


 

 だいぶ前から、性能設計の思想が、実際の構造設計に取り入られるようになりました。


 つい最近、「建物が壊れることを前提にした設計ではなく、建物を壊さない設計であるべき」ということを、おっしゃっていた方がいました。


 できたら、そうありたいです。


 実際の災害で現場を目にし、最前線の思想を持つ先生方。


 施主の窓口になっている、無責任かつ無知な建築士。

 

 どちらも知っている、末端の構造屋として、一言、言いたいです。


 「このギャップを埋めることができない現状を放置しているのが、一番の不味い問題だよ、、、」


 

 構造屋の集まり、第3回を神奈川県でやります。

 参加してみませんか?

 

 それでは、また。

 

 


 







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