構造設計の仕事
常日頃、構造屋として感じている、わたしの考えを思いつくままに書いてみたいと思います。
賛否両論あるかと思いますが、個人的なわたしの見解ですので、こんな風に考える人もいるのだな~くらいの気持ちで、お付き合いしていただけたらと思います。
この仕事をしていると、世間との乖離を感じることが多々あります。
世間一般の人が誤解をしているところとして、地震や台風から、人の命を守るために、強い建物にするのが構造設計だと考えているところです。
これは大きな誤解で、地震や台風などの避けられない自然災害が起きた時に、人の命を脅かすのは建物そのものです。
地震や台風などの自然災害が起きた時に、建物は人の命を守ってはくれません。
等級1でも等級3でも関係ありません、建物は人の命を守ってはくれません。
巨大地震が起きた、その時に、建物の中にいれば、家具の転倒などで下敷きになり身動きが取れなくなったり大けがを負ったり、最悪の場合は建物が倒壊して命を失ってしまうことになります。
巨大地震が起きた、その時に、一番にしなければならないことは、建物から出て、安全な場所に自分の身を置くことです。
ハウスメーカーの営業マンの「震度7の地震でも、大丈夫です!」などという言葉を信じてはいけません。大きな地震が起きた時は、建物の中に居ちゃいけません。
大切な家族の命を守るために、いの一番に、建物から外に逃げてください。
あの時に営業マンの言葉を信じたばかりに、自分の大切な人を失ってしまったと後悔しても遅いのです。失ってしまったものを、取り戻すことは、もうできません。
誰かにとって都合のいい、耳障りの良いその場しのぎの言葉より、都合の悪い真実を正しく理解することが、大切なものを守ることになります。
構造屋として、このように言うことは、悲しくて悔しいですが、今現在の技術では、大きな自然災害に見舞われた時に、絶対に壊れない建物とすることは不可能に近いです。
不可能に近いですが、近づく努力はできます。少しでも丈夫な建物にすることで、建物が人に危害を及ぼす可能性が低くなります。
構造屋にできることなど、大きな自然の脅威の前では、微力にすぎませんが、少しでも、自分がかかわった建物で過ごす人々が、悲しい思いをしないようにとの思いを込めて頑張っています。
このような思いは、わたしだけでなく、能力の差はあれ、すべての構造屋さんが持っているものだと、わたしは思っています。
残念なことに、そうった構造屋の思いが、意匠屋さん、施工屋さん、お施主さんに、時として、まったく理解されないことが多々あります。
それどころか、ただ等級3になるように計算してくれればいいのだから、細かいことを小難しい言葉でわーわー言うな、くらいの扱いを受けることもあります。
ほんとうに、かなしいです、、、。
わたしたち構造屋の仕事は、「丈夫な等級3だから、地震が来ても大丈夫」と営業マンがお施主さんを甘い言葉で安心させるためにやっているわけじゃありません。
実際の大きな自然災害が起きた時に、人が悲しい思いをしませんようにと、ただそれだけの思いを持って、構造設計の仕事をしています。
長年、この仕事をやっていて、ず~と、意匠屋さんや工務店さんなどが、構造設計に対して誤解をしていることはもちろん、世間一般的にも、構造設計の仕事の本質が誤解されていることを身に染みて感じています。
なかなか、こういった敵は手強く、連戦連敗、誤解を解くことができません。
どうしたら良いのでしょうか?
最近では戦う意力さえわきません、相手が分からないところで戦う、ずるい戦法を使うようになりました。
相手が分からない部分を強くするんです。
耐力壁を増やす、柱を増やす、梁を大きくする、こういう部分は、敵は敏感になりますが、
材料強度を大きくする、部材厚を大きくする、接合部を強くするなどは、敵は気づきません。
他にも戦法をいろいろと、ひねり出し、苦肉の策を講じます。
なぜ、こんなみみっちい努力に心血を注がなきゃならんのだ~と思いつつも、手強い敵と戦う労力と比べれば、まだましです。
ほんとに、ときどき、だれのためにやっているのか、分からなくなります。
建物を使う人のためにやっているのに、その当人に気づかれないように、こっそりやっているんです。バカみたいですよね。
今日は、つまらない構造屋の愚痴になりました。
気が向いたら、また、のぞいてみてください。それでは、また。
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